2014年12月12日
2014年09月03日
2014年08月30日
2014年07月19日
2014年07月19日
島口説 沖永良部島の各集落の特徴を読んだ歌
島口説(1) (故人 幸山先照)バージョン 3パターン程あるそうです。
・島の美(ちゅ)らさや出花ぬ島
海老ぬ捕らゆぬ西原よ 章魚(たこ)ぬとらゆぬ国頭島
・山ぬ不自由や喜美留島
品物ぬ集い和泊村
芋ぬできゆぬ和の島
・砂糖ぬできゆぬ玉城しま
水路ぬ長さや大城(ふうぐすく)、
茣蓙(ござ)ぬできゆぬ皆川・古里
・米ぬできゆぬ竿津・赤嶺
ちぐぬとりゆぬ久志検よ。
草履(さば)ぬきゅらさや上平川(ひょう)ぬ島
・水ぬやなぎさ余多島。水ぬきゅらさや屋者ぬ島。
島ぬ高さや下平川島
・言葉(むに)ぬあらさや芦清良よ。
言葉ぬすらべや黒貫島。
里原通ゆぬ瀬利覚じま。
・髪(はらじ)ぬ結いきゅらさ小米・知名(じんにゃ)
人ぬまぎさや屋子母じま
米ぬ少なさにいじゃとじま
・水ぬきりゆぬ徳時じま
粟ぬとりゆぬ島尻じま
割り田にだかゆぬ正名じま
・島ぬまぎさや田皆じま
衣装ぬゆたさや上城じま
言葉やはらさにしみじま
・しいぎゃにだかゆぬ田舎平(にゃひゃ)・後蘭
山にだかゆぬ永嶺・瀬名
松木にだかゆぬ城じま
・峰に圧さゆぬ打田じま
溜池にだかゆぬ根折ぬしま
烏賊ぬとりゆぬ畦布じま
・寺ぬゆたさや手々知名よ
港ぬゆたさや伊延じま
うりからできたぬ島口説
今が今まで語挙ぎたん(ゆみあぎたん)
2014年07月02日
2014年04月28日
2014年04月25日
2013年12月07日
2013年09月12日
明治維新は奄美の黒糖が資金源だった。検証
幻の上海貿易と奄美 昨日の南海日日新聞掲載記事
幻の上海貿易と奄美の黒糖 原口泉氏の新説「明治維新は上海貿易の売上金で行われた。」「明治維新の時の奄美の黒糖資金は微々たるものだった。」(資料&史料全くなし)
南海日日新聞でえらぶ郷土研究会会長が史料をそろえて検証済みの幻の上海貿易として投稿。分かり易くまとめられています。
2013年08月21日
2012年03月02日
2012年02月17日
目からうろこの琉球・沖縄史 ブログ&本

目からうろこの琉球・沖縄史 上里隆史 著
ブログ
http://okinawa-rekishi.cocolog-nifty.com/
琉球の歴史を分かりやすく説明している本とブログです。
タグ :目からうろこの琉球史沖縄の歴史
2012年01月03日
中甫洞穴 6000年前の人骨が発見

中甫洞穴の看板です。
6000年前の人骨が発見されています。
所在地は久志検
後蘭との境界線近くになります。
入口は10mほどの洞穴が大きく開いており、奥行きは84mほどあるそうです。
沖永良部島洞窟探検隊が調査してあります。
タグ :中日洞穴
2011年12月22日
藩政時代の沖永良部島の記録
和泊町が薩摩の琉球支配400年にちなんだ史料集
「藩政時代の沖永良部島の記録」を発行。
1609~支配終了前年の1874年にかけた島の歴史を再検証。
薩摩郡侵攻当時の記録、
沖永良部島の石高と古地図
沖永良部島における砂糖政策
などテーマ別11章で構成。 南海日々新聞記事より
編集した先田光演さんは「軍襲来の対応や砂糖政策が島々で異なる点が興味深い。薩摩と琉球の中間に位置した沖永良部島は両方の文化を取り入れ、独自の文化を築いた。
史料集は先人から後世への贈り物。
侵攻400年を一過性のイベントに終わらせず、歴史を再検証する機会にしたい。」
2000円
和泊町歴史民族資料館で販売 TEL0997-92-0911
タグ :藩政時代の沖永良部島の記録
2011年11月25日
トゥール墓チュラドゥール 沖永良部島の琉球式墓
沖永良部島にある大規模なトゥール墓
6か所あるそうです。
世の主の墓
世の主の墓近くの森の中に1か所。
世の主の墓より50mほど下にあるチュラドゥール
屋者にあるヤジャマサバルの墓
新城にあるニャートゥ墓
屋子母野セージマ
トゥール墓めぐりも面白そうですね。
2011年07月01日
揚殿遺跡 住吉の遺跡です。
揚殿遺跡
住吉トゥモローの浜降り口にある遺跡です。
屋子母~住吉の海岸線には遺跡が多いです。
画像は屋子母の浜
イシャゴー
ソーメン流し東側はトゥメの浜です。
公園西側はフーバマ(シャーチナ)と呼ばれています。
タグ :ソーメン流し